努力をしても無駄なことがあることをその若者は知っていたのである。

小学校2年生のときの国語の授業で児童文学「ごんぎつね」新美南吉著を習ったときに、いっぱい泣きました。つぐないのためにしていたことが、相手の誤解とはいえ火縄銃で撃たれてごんぎつねは死んでしまいます。

牢獄に30年間はいった犯罪人が、一匹の蟻となかよくなります。その犯罪人はその蟻に芸を仕込むことに決めました。10年かけて名前を覚えさせ、10年かけて2足歩行を覚えさせ、10年かけてお辞儀を覚えさせました。ちょうど30年経ち、刑を終えて牢獄をでるときにその犯罪人は監守になかよくなった蟻の芸を見せようと思います。名前を呼んで蟻がでてきたのですが、蟻がでてきた瞬間に監守はその蟻を踏みつけてしまいました。
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砂浜の砂を両手ですくいあげる
いくらすくっても 砂は指の間から逃げてゆく
そして こんどは力の限り 握ってみる
それでも 砂は 下に落ちる

じっと考え込んでいた
人間の希望とか 夢とか
実は この砂のようなものかも?
いくら希望をもっても 夢を見ても
すぐにくずれさる はかないもの
そうであれば 人は 生きていたって・・・・

ただの 砂には終わりたくない
生きているから 希望も夢もある
私は 人である 希望が持てて 夢を見ることのできる「人」である

一瞬、一瞬を輝かせる砂になりたいのである

1983年7月16日